宗教家の方もいろいろな氣の種類
言葉や文章よりも体験
当会のレッスンの特徴の一つとして、そのものの体験をしていただけます。
丹田を言葉や文章で伝えるよりも、丹田そのものを体験した方が伝わります。
例えば、色や味をある程度、言葉や文章で伝えることも可能です。
例えば、こういう料理の味を説明してもらうと、あるていど想像できますが、どれだけそのものの味と同じかは不明です。
一番はやいのは、食べてみることで、食べることによってはじめて、味が100%分かります。
丹田や経絡なども実は人によって違います。
それをいくら言葉で説明しても、本当のところはなかなか伝わりません。
※ここに思い込みというものも入ります・・・
丹田なども、そのものを体験するのが、一番はやく、理解ができます。
一度体験することによって、ゴールが分かり、進むべき方向が分かり、より効率的に修練ができます。
宗教家の氣
レッスンの中では、その方の必要な状態などを体験してもらうこともあります。
これもなかなか楽しい内容です。
宗教家の方の氣を体験しました。
一口に宗教家と言っても、氣の性質などは様々です。
背景にある、宗教の思想や個人の思想なども、絡み合ってまったく別物です。
宗教の教義も、成立した時代背景や、その民族、土地柄、時間の経過による変化などなどありますね。
・深い愛の宗教家
女性の宗教家で、この方は深い深い愛でした。
個人、家族、民族を超えた深い愛です。
人のみではなく、生物や植物、生きていることさえもありがたく、愛おしい気持ちです。
・明るく楽しく生きることに感謝する宗教家
ある宗教家は、ポジティブそのものです。
明るく、楽しく、「生きているだけで丸儲け」などの言葉そのものです。
人生は楽しみで満ちています、毎日が楽しくワクワクしています。
・圧倒的な存在感
この方は、圧倒的な存在感です。
オーラの大きさなどと言われますが、存在そのものが大きいです。
仏像などに後光がありますが、そのままの、光が後ろに見えるよいに、眩く、輝いています。
この人を見るだけで、その存在感に感動を覚えるほどです。
この方とは言葉を超えて、人種を超えて、感動を覚えます。
このように、氣を体験することは、上達へに近道となりまた楽しい経験でもあります。
その人の氣を体験した後で、その人の言葉や文章などを聞くと、より一層の理解ができます。